それでは場所を移動します。

今度は海岸線に出てみます。この海岸線には水上飛行機が離着水するために使った滑走路が残されています。

その前に位置関係を見てみましょう。

コメント 2020-01-07 154716


(前編)でご紹介した記念碑や防空壕の位置が分かりますでしょうか?

ここは少し高台になっていますので少し降りるような感じで海岸線に出ることになります。

ご覧のように最新の地図にもしっかりと滑走路跡は描かれていますね。

この詫間湾は波も穏やかで四方を山と島に囲まれた基地にはうってつけの地形です。
水上機基地として選ばれたのも理解できます。

滑走路は3つの大型機用と広い小型機用が有りますが大型機用の一つは企業が埋め立ててクレーンを立てるなど全く面影は残っていません。これも時代ですから仕方ありませんが。

それでは実際に見てみます。

12

陸上機の場合は「滑走路」と呼びますが、水上機の場合はこれを「スリップ」とか「スベリ」と呼ぶようです。

これはスベリを真横から見たところですが確かに滑るように緩やかな斜面となっていますね。

それでは実際にスベリに降りてみます。

13

さすがにクラックが目立ちますが仕方ありません。それよりもこの地に立った感動の方が大きいです。

14

詫間の海は穏やかでとても奇麗です。ここが水上特攻基地だったとはにわかには信じられません。

15

ここは大型機用のスベリです。中央にこのようなレールと枕木の跡が有り、まっすぐ海中へと続いていました。この上を水上機が台車で運ばれたのでしょうか?多くの隊員たちの姿が見えてくるようです。

実は今回、私は先日完成させた「二式水戦」を持参していました。
せっかく詫間に行くのですから鎮魂の意味も込めた何かがしたかったのです。
それで年末急いで1/144ですが二式水戦を作ったのです。

IMG_1972


本当は二式大艇を作りたかったのですがさすがにそれは時間が無いと思ったので・・・。

その二式水戦をレールの上にかざしてみました。

16

これを里帰りと呼んでも良いのでしょうか・・・。

しかし少なくとも私には胸にこみあげるものが有りました。

17

ここは小型機用のスベリです。一度に数機発進できるようにするためでしょうか、とにかく幅が広いです。ある資料には150mと書いてありました。それだけ作るのは大変だったと思います。

19

想像していた以上に保存状態は良さそうでした。

水平線に対して滑走台が角度を持って海に続いていることがハッキリ分かりますね。
ちなみにこの角度は4.5度だそうです。

コンクリートは海中まで続いています。

18

潜水夫が潜って作業したそうです。そういう意味では地上滑走路よりも手間が掛かっているのかもしれません。永年波に侵食されて痛みの大きい部分も見られます。今後の保全活動を期待したいところなのですが・・・・。

気になるのはこの滑走台が続く海岸線は堤防で守られていて道路を歩いたり車で走ったりするだけでは全くこの貴重な滑走台を見つけることは出来ません。

その割に堤防のどこにも滑走台跡についての説明文もプレートや案内板も見つけることは出来ませんでした。私の見落としかもしれませんがやはり歴史が埋もれていくようで少し寂しい気がしました。


ふるさと香川、詫間の特攻基地。その現地に赴きその現場に立ちました。その証に一枚の写真を撮りました。

持ち込んだ「二式水戦 詫間海軍航空隊所属 第101号機」を滑走台の上に置きました。

20

75年ぶりにこの滑走台に戻ってきた101号機。

事実はどんどん風化していきます。それは仕方ありません。
たかがプラモデルです。でも作り手が思いを込めることで少しでも風化に逆らいたい。
そんな気持ちで仕上げたプラモデルなのです。少しは意味が有ったでしょうか・・・。

次の写真をご覧ください。

20a

これは75年前に詫間基地を飛び立つ水上機とそれを全力で見送る隊員たちを捉えた一枚です。

奥に島影が見えます。隊員たちはこの島を目標に毎日訓練に明け暮れてそして九州へと飛び立って行きました。

この写真が撮られたのとほぼ同じ位置から撮影してみました。

21

島の姿は全く変わっていません。
そして滑走台もそのままの姿で存在しています。

しかし、ここから飛行機が飛び立つことはもうありません。

この滑走台はもう存在する意味は全くありません。
でもこれからもず~~~っと残してほしい。
決して忘れてはならない歴史だと思うからです・・・。


以上、詫間海軍航空隊基地跡の訪問レポートでした。