先日、1/144の「二式水戦」を製作以来、「なぜ?え?下駄履き戦?」という疑問のお声をいろいろ頂きました。
今回はなぜ艦船模型専門の私がこの飛行機模型を作るに至ったかをお話いたします。
長くなりますので前・後編に分けますのでどうぞよろしくお願いいたします。


私は高校を卒業するまでの18年間を「うどん県」で有名な香川県で過ごしました。穏やかな瀬戸内気候にめぐまれたこの讃岐の地にも確実に戦争の爪跡が残されています。
その一つが香川県の西部にある三豊市詫間町に存在した「詫間海軍航空隊」です。

私はその存在は昔から知っていたのですがなかなか最近は帰省しても期間が短く訪れるチャンスが有りませんでした。

しかし近年、現在暮らす兵庫県で「鶉野飛行場」関連のイベントに関わらせていただく機会が増え、じわじわとですがこのような戦争遺跡への関心が強まり今回のお正月帰省こそ訪れてみようという強い意志を持って帰りました。
まず、詫間町の位置ですがこの地図をご参照ください
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海岸から少し上がったところにこのような看板が有ります。
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そして大きな石に刻まれた立派な記念碑が見えてきます。
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その横には解説文の書かれた石碑がありますのでじっくりと読んでみましょう。
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要点を簡単にまとめると・・・
「詫間海軍航空隊」は昭和18年に開隊されました。当初は水上飛行機の訓練部隊として連日若いパイロットたちが猛訓練に励みました。
しかし戦況の悪化に伴いこの基地にも特攻命令が下ります。そして最終的に57名もの若者たちが特攻出撃により命を落としました。
ということですが、よろしければこの石碑文の全文をお読みください。
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また当時の基地の施設や配置図が描かれていました。
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実はこの基地は戦後学校や企業に払い下げられました。その基地の施設や建物をほぼそのまま利用して開校された「詫間電波高専」(現香川高専詫間キャンパス)は私の父の母校であり、父は卒業後通信員として長く船員勤務しました。
そういういきさつもあり、今回この基地跡を訪ねてみたくなったというのも理由の一つなのです。

ここから先は、私が今回その父から直接聞いた証言です。
「教練に使った練習機がズラリと並んでいるのは何度も見た。一応草木で覆って目隠しをしてはいたけど我々の目にも一目で飛行機だと分かった。上空から見たらあんなもんは何の役にも立たんだろう。
ある日、アメリカの飛行機がやって来て基地を攻撃してきた。その様子を建物の陰から見ていたんだがこれはもうやられたなあと思った。
ところが沖の島影から日本の軍艦が出てきて応戦したとたんに基地を攻撃していたアメリカの飛行機は全部目標をその軍艦に切り替えて向っていった。
名前は知らんけどかなり大きな軍艦だったぞ。
その軍艦がどうなったかまでは覚えてないが、一機だけ撃墜したのはハッキリ覚えている。
その飛行機はフラフラと志々島(ししじま)の近くに堕ちた。
聞いた話ではパイロットは生きていて捕虜になったらしい。ただまもなく終戦になったからおそらくすぐに引き渡されてしまったんじゃないか?」


リアルな話に背筋が凍る思いがしました。

また、母にも話を聞いてみました。

「終戦後、母親(つまり私から見れば祖母)と一緒に家にいたら黒人兵士が勝手にドカドカと家に上がり込んできた。何を言ってるかわからんかったけど、どうも何かくれと言ってるようやった。何もないと分かったらおとなしく出て行った。ほんとに怖かったわ・・・。
でも近所の人は真っ赤なお腰(和服用の肌着)を干していたのを盗られたみたい。
マフラー代わりに首に巻いて行ったらしいわ。

というこれも生々しい体験談でした。他にも近所の奥さんは機銃掃射を受けたけどわずかにそれて助かった・・・など、いろんな話が聞けました。

身内からだけでもこれだけの証言が得られたのですから現地の高齢者を訪ねればもっと多くの話が聞けるかもしれません。ただ、話したくない方もいらっしゃるかもしれませんのでそっとしておいた方が良いとも思いますが・・・。



同様のエピソードについては関連動画がありますので以下を宜しければご覧ください。



記念碑の前にはいくつかの防空壕がそのまま保存されています。
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中にも入れました。コンクリート壁はほとんど時の流れを感じさせないほど状態が良く当時の面影をそのまま残していました。
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爆風よけの為、内部で「コ」の字になって隣の壕とつながっている特徴も確認できました。
ただ・・・床にはいろんなゴミや廃棄物が転がっており管理状態はあまり良くないと感じました。維持管理していくのは大変なことなのでしょうか、仕方がないこととはいえ少々残念に思いました・・・。

ある防空壕の入り口前にはこのような石碑が置かれていました。
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この詫間海軍航空隊基地は日本が世界に誇る飛行艇「二式大型飛行艇」(二式大艇)の最後の整備基地でした。その二式大艇を全力で整備した方々で構成されるのがこの「二式会」だそうです。
鹿児島県の「鹿屋航空基地史料館」に行かれた方は大きな二式大艇をご覧になったと思います。あの機体は元々はこの詫間基地で整備された数機のうちの残存機(T-31号機)です。


戦後整備可能な一機が米国に渡り徹底的に調査されました。その結果、この二式大艇の優秀さは米側を驚かせることになったそうです。その後日本に返還され、現在は鹿屋で展示されています。私はまだ実機は見た事が有りませんのでいつかはきっとこの目で見てみたいと思っています。

それでは場所を移します。今度は海岸に降りて現存滑走路を見学します。


前編終わり。後編に続く。