2020年01月

それでは場所を移動します。

今度は海岸線に出てみます。この海岸線には水上飛行機が離着水するために使った滑走路が残されています。

その前に位置関係を見てみましょう。

コメント 2020-01-07 154716


(前編)でご紹介した記念碑や防空壕の位置が分かりますでしょうか?

ここは少し高台になっていますので少し降りるような感じで海岸線に出ることになります。

ご覧のように最新の地図にもしっかりと滑走路跡は描かれていますね。

この詫間湾は波も穏やかで四方を山と島に囲まれた基地にはうってつけの地形です。
水上機基地として選ばれたのも理解できます。

滑走路は3つの大型機用と広い小型機用が有りますが大型機用の一つは企業が埋め立ててクレーンを立てるなど全く面影は残っていません。これも時代ですから仕方ありませんが。

それでは実際に見てみます。

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陸上機の場合は「滑走路」と呼びますが、水上機の場合はこれを「スリップ」とか「スベリ」と呼ぶようです。

これはスベリを真横から見たところですが確かに滑るように緩やかな斜面となっていますね。

それでは実際にスベリに降りてみます。

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さすがにクラックが目立ちますが仕方ありません。それよりもこの地に立った感動の方が大きいです。

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詫間の海は穏やかでとても奇麗です。ここが水上特攻基地だったとはにわかには信じられません。

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ここは大型機用のスベリです。中央にこのようなレールと枕木の跡が有り、まっすぐ海中へと続いていました。この上を水上機が台車で運ばれたのでしょうか?多くの隊員たちの姿が見えてくるようです。

実は今回、私は先日完成させた「二式水戦」を持参していました。
せっかく詫間に行くのですから鎮魂の意味も込めた何かがしたかったのです。
それで年末急いで1/144ですが二式水戦を作ったのです。

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本当は二式大艇を作りたかったのですがさすがにそれは時間が無いと思ったので・・・。

その二式水戦をレールの上にかざしてみました。

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これを里帰りと呼んでも良いのでしょうか・・・。

しかし少なくとも私には胸にこみあげるものが有りました。

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ここは小型機用のスベリです。一度に数機発進できるようにするためでしょうか、とにかく幅が広いです。ある資料には150mと書いてありました。それだけ作るのは大変だったと思います。

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想像していた以上に保存状態は良さそうでした。

水平線に対して滑走台が角度を持って海に続いていることがハッキリ分かりますね。
ちなみにこの角度は4.5度だそうです。

コンクリートは海中まで続いています。

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潜水夫が潜って作業したそうです。そういう意味では地上滑走路よりも手間が掛かっているのかもしれません。永年波に侵食されて痛みの大きい部分も見られます。今後の保全活動を期待したいところなのですが・・・・。

気になるのはこの滑走台が続く海岸線は堤防で守られていて道路を歩いたり車で走ったりするだけでは全くこの貴重な滑走台を見つけることは出来ません。

その割に堤防のどこにも滑走台跡についての説明文もプレートや案内板も見つけることは出来ませんでした。私の見落としかもしれませんがやはり歴史が埋もれていくようで少し寂しい気がしました。


ふるさと香川、詫間の特攻基地。その現地に赴きその現場に立ちました。その証に一枚の写真を撮りました。

持ち込んだ「二式水戦 詫間海軍航空隊所属 第101号機」を滑走台の上に置きました。

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75年ぶりにこの滑走台に戻ってきた101号機。

事実はどんどん風化していきます。それは仕方ありません。
たかがプラモデルです。でも作り手が思いを込めることで少しでも風化に逆らいたい。
そんな気持ちで仕上げたプラモデルなのです。少しは意味が有ったでしょうか・・・。

次の写真をご覧ください。

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これは75年前に詫間基地を飛び立つ水上機とそれを全力で見送る隊員たちを捉えた一枚です。

奥に島影が見えます。隊員たちはこの島を目標に毎日訓練に明け暮れてそして九州へと飛び立って行きました。

この写真が撮られたのとほぼ同じ位置から撮影してみました。

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島の姿は全く変わっていません。
そして滑走台もそのままの姿で存在しています。

しかし、ここから飛行機が飛び立つことはもうありません。

この滑走台はもう存在する意味は全くありません。
でもこれからもず~~~っと残してほしい。
決して忘れてはならない歴史だと思うからです・・・。


以上、詫間海軍航空隊基地跡の訪問レポートでした。






先日、1/144の「二式水戦」を製作以来、「なぜ?え?下駄履き戦?」という疑問のお声をいろいろ頂きました。
今回はなぜ艦船模型専門の私がこの飛行機模型を作るに至ったかをお話いたします。
長くなりますので前・後編に分けますのでどうぞよろしくお願いいたします。


私は高校を卒業するまでの18年間を「うどん県」で有名な香川県で過ごしました。穏やかな瀬戸内気候にめぐまれたこの讃岐の地にも確実に戦争の爪跡が残されています。
その一つが香川県の西部にある三豊市詫間町に存在した「詫間海軍航空隊」です。

私はその存在は昔から知っていたのですがなかなか最近は帰省しても期間が短く訪れるチャンスが有りませんでした。

しかし近年、現在暮らす兵庫県で「鶉野飛行場」関連のイベントに関わらせていただく機会が増え、じわじわとですがこのような戦争遺跡への関心が強まり今回のお正月帰省こそ訪れてみようという強い意志を持って帰りました。
まず、詫間町の位置ですがこの地図をご参照ください
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海岸から少し上がったところにこのような看板が有ります。
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そして大きな石に刻まれた立派な記念碑が見えてきます。
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その横には解説文の書かれた石碑がありますのでじっくりと読んでみましょう。
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要点を簡単にまとめると・・・
「詫間海軍航空隊」は昭和18年に開隊されました。当初は水上飛行機の訓練部隊として連日若いパイロットたちが猛訓練に励みました。
しかし戦況の悪化に伴いこの基地にも特攻命令が下ります。そして最終的に57名もの若者たちが特攻出撃により命を落としました。
ということですが、よろしければこの石碑文の全文をお読みください。
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また当時の基地の施設や配置図が描かれていました。
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実はこの基地は戦後学校や企業に払い下げられました。その基地の施設や建物をほぼそのまま利用して開校された「詫間電波高専」(現香川高専詫間キャンパス)は私の父の母校であり、父は卒業後通信員として長く船員勤務しました。
そういういきさつもあり、今回この基地跡を訪ねてみたくなったというのも理由の一つなのです。

ここから先は、私が今回その父から直接聞いた証言です。
「教練に使った練習機がズラリと並んでいるのは何度も見た。一応草木で覆って目隠しをしてはいたけど我々の目にも一目で飛行機だと分かった。上空から見たらあんなもんは何の役にも立たんだろう。
ある日、アメリカの飛行機がやって来て基地を攻撃してきた。その様子を建物の陰から見ていたんだがこれはもうやられたなあと思った。
ところが沖の島影から日本の軍艦が出てきて応戦したとたんに基地を攻撃していたアメリカの飛行機は全部目標をその軍艦に切り替えて向っていった。
名前は知らんけどかなり大きな軍艦だったぞ。
その軍艦がどうなったかまでは覚えてないが、一機だけ撃墜したのはハッキリ覚えている。
その飛行機はフラフラと志々島(ししじま)の近くに堕ちた。
聞いた話ではパイロットは生きていて捕虜になったらしい。ただまもなく終戦になったからおそらくすぐに引き渡されてしまったんじゃないか?」


リアルな話に背筋が凍る思いがしました。

また、母にも話を聞いてみました。

「終戦後、母親(つまり私から見れば祖母)と一緒に家にいたら黒人兵士が勝手にドカドカと家に上がり込んできた。何を言ってるかわからんかったけど、どうも何かくれと言ってるようやった。何もないと分かったらおとなしく出て行った。ほんとに怖かったわ・・・。
でも近所の人は真っ赤なお腰(和服用の肌着)を干していたのを盗られたみたい。
マフラー代わりに首に巻いて行ったらしいわ。

というこれも生々しい体験談でした。他にも近所の奥さんは機銃掃射を受けたけどわずかにそれて助かった・・・など、いろんな話が聞けました。

身内からだけでもこれだけの証言が得られたのですから現地の高齢者を訪ねればもっと多くの話が聞けるかもしれません。ただ、話したくない方もいらっしゃるかもしれませんのでそっとしておいた方が良いとも思いますが・・・。



同様のエピソードについては関連動画がありますので以下を宜しければご覧ください。



記念碑の前にはいくつかの防空壕がそのまま保存されています。
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中にも入れました。コンクリート壁はほとんど時の流れを感じさせないほど状態が良く当時の面影をそのまま残していました。
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爆風よけの為、内部で「コ」の字になって隣の壕とつながっている特徴も確認できました。
ただ・・・床にはいろんなゴミや廃棄物が転がっており管理状態はあまり良くないと感じました。維持管理していくのは大変なことなのでしょうか、仕方がないこととはいえ少々残念に思いました・・・。

ある防空壕の入り口前にはこのような石碑が置かれていました。
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この詫間海軍航空隊基地は日本が世界に誇る飛行艇「二式大型飛行艇」(二式大艇)の最後の整備基地でした。その二式大艇を全力で整備した方々で構成されるのがこの「二式会」だそうです。
鹿児島県の「鹿屋航空基地史料館」に行かれた方は大きな二式大艇をご覧になったと思います。あの機体は元々はこの詫間基地で整備された数機のうちの残存機(T-31号機)です。


戦後整備可能な一機が米国に渡り徹底的に調査されました。その結果、この二式大艇の優秀さは米側を驚かせることになったそうです。その後日本に返還され、現在は鹿屋で展示されています。私はまだ実機は見た事が有りませんのでいつかはきっとこの目で見てみたいと思っています。

それでは場所を移します。今度は海岸に降りて現存滑走路を見学します。


前編終わり。後編に続く。









お正月は皆さまいかがでしたか?

私は久しぶりにゆっくり出来ました。新たな出会いや思い出も出来てとても充実したお正月休みでした。

さて2020年が幕を開けましたが早速今月大きなイベントが有りますのでお知らせいたします。

うずらの・筑波合同企画
映画「アルキメデスの大戦」&「怪鳥の島」展

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日時 : 2020年1月18日(土)~19(日)

場所 : 鶉野中町公民館

私は何も出来ないのですが、ありがたいことに模型展示のお誘いが有りましたので今回も拙作を数点展示させていただくことになりました。

詳しくは以下のページをご覧ください。
     ↓ ↓ ↓ 
屋根裏部屋の男さんのブログ

たくさんのご来場をお待ちしています。どうぞよろしくお願いいたします。

さすがに今日はお休みでした(笑)。

午前中、時間が有りましたので製作に集中しました。

12.7cm連装高角砲のシールド作りを続けます。

昨日の最終状態はこれです。

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今日はこれを仕上げました。

細かすぎてもう新春パニック状態ですが何とか完成です。

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大きさを表現するにはやはり1円玉が便利です。

比較してみましたがどうも1円玉よりも小さいです。

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船体に(仮)搭載してみました。

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あとはテスリを取り付ければ完成ですがそれはもっと後の話になります。

ん~~、ここ最近の作業では一番難しかったかもしれません。

やりたいことは出来ましたので満足です。

明日からは帰省や新年会でちょっと製作時間が取れません。

また再開したらアップしますのでよろしくお願いします。

2020年、本年もどうぞ「特選空母」をよろしくお願いいたします!!

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